グリム童話『森の家』と「イサクの妻リベカ」

娘が小さい頃好きだったグリム童話『森の家』というのがある。

木こりの父親にお昼を届けに行った娘は森の中で迷い一軒の家に入る。三人娘の上二人は、動物たちには心を配らず、自分と老主人だけで飲み食いしたために寝ている間に地下室に落とされる。が、下の娘は動物たちにも心を配ったので、森の家にかけられた魔法がとけて、動物たちは召使いに戻り、老人だった王子と目出度く結婚するというお話だが、このお話の最後は次のように締めくくられている。

「でも、ふたりの姉さんたちは、どこにいますの?」と、娘がきくと、王子はいいました。

「あのふたりは、地下室にとじこめてあります。あした、森へつれていかせて、炭焼きのところで、女中としてはたらかせることになっています。ふたりが心を入れかえて、かわいそうなどうぶつに、ひもじい思いをさせたりしなくなるまでね」

(佐々梨代子・野村泫=訳『子どもに語るグリムの昔話4』から「森の家」(こぐま社)より)

 

昔、宇田達夫=著『主の証人たち』「イサク 神が備えてくださる」(創世記24:1~14)を読んで、このお話『森の家』を理解した。

 イサクの妻となったリベカは、人のかわきのみならず、動物たちのかわきにも心のとどく人でした。義務を果たせばいい、要求されたことだけを満たせばいいというのではなく、愛はそれらを越えていきます。

 神が備えてくださったリベカを抜きにして、イサクを語ることはできません。アブラハムのしもべの任務は重大でした。イサクの妻にどのような人を選ぶかによって、イスラエルの歴史は変わってしまうのですから。彼はナホルの町に入り、不安と期待の入りまじる中で、夕闇迫るひととき、目を天に向けて祈りました。その祈りの何と素朴で美しかったことでしょう。「主よ、わたしは今、御覧のように泉の傍らに立っています。この町に住む人の娘たちが水をくみに来たとき、その一人に『どうか、水がめを傾けて、飲ませて下さい』と頼んでみます。その娘が『どうぞお飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう』と答えれば、彼女こそあなたがあなたのしもべイサクの嫁としてお決めになったものとさせてください」と。

(宇田達夫=著『主の証人たち』(日本キリスト教会教育委員会)より「イサク 神が備えてくださる」)

 

神に従う人は家畜の求めるものすら知っている。(箴言12:10)

安息日を守ってこれを聖別せよ。…。七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる。(申命記5:12,14)