風の匂いの中に

『我らは神の中に生き、動き、存在する』(使徒言行録17:28)

映画『僕はイエス様が嫌い』

マイナーっぽい映画を京都まで見に行った。

『僕はイエス様が嫌い』

コミカルで楽しい映画かと思ったら、重くて暗い内容だった。

だけど、キリスト教の本質に迫っている。

 

映像で見ていて、牧師から少年が貰ったカードがどういうものなのか分からなかったのだが、パンフレットを買って、十字架を背負ったイエスの絵に「神には何もできないことはありません」という御言葉の書かれたカードだった、と分かった。

それで、この映画の全体像が見えた。

 

パンフレットには、「何より描こうとしているテーマは、マーティン・スコセッシ監督が『沈黙ーSilence-』で挑んだテーマと同じ“神の沈黙”。」と書いた映画ジャーナリストの文章も掲載されているのだが、そんな腐った言葉を載せるくらいなら映画ジャーナリストなど辞めた方がましだろう。

 

 

この映画にはいくつかの讃美歌が挿入されている。選曲の規準は奥山大史監督の好きな讃美歌だそうである。その中の一つ、

453番

1 聞けや愛の言葉を、もろ国人らの  2 見よや救いの君を、世のため悩みて

  罪とがをのぞく主の御言葉を、     あがないの道を開きしイエスを、

  主のみことばを。           ひらきしイエスを。

(おりかえし)

  やがて時は来たらん、神のみ光の普く世をてらすあしたは来たらん。

 

 

私が、この映画のために聖書の言葉を選ぶなら、以下、

ねたみは墓のように残酷(雅歌8:6)

憤りはむごく、怒りははげしい、しかしねたみの前には、だれが立ちえよう。(箴言27:4)

彼らがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためである(マタイによる福音書27:18)

祭司長たちがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためである(マルコによる福音書15:10)

 

しかし彼らは、わめきたてて「十字架につけよ、彼を十字架につけよ」と言いつづけた。・・・。

ところが、彼らは大声をあげて詰め寄り、イエスを十字架につけるように要求した。そして、その声が勝った。ピラトはついに彼らの願いどおりにすることに決定した。(ルカによる福音書23:21,23,24)(赤字表記は管理人メロメロピーによる)

 

そして、

神には、なんでもできないことはありません。(ルカによる福音書1:37)

 

 

奥山監督はこの映画を作りながら、イエスの赦しの声を聞いたはずだ。