矛盾にぶつからない思考が合理的なのではない。矛盾にぶつかることを恐れない思考が合理的なのである。つまり矛盾に直面しない思考とは、中途半端な思考であり、いわば矛盾することを恐れて、問題を回避した思考なのだ。しかし人はしばしば、矛盾に直面しない思考が合理的思考であり、矛盾をはらむ思考は非合理的思考である、と思いこんでいる。(山崎行太郎=著『小林秀雄とベルグソン』p8)
この言葉は、この数年、二人の病人を抱えて栄養学の深い森を彷徨ってきた私を支えてくれた言葉だ。
量子物理学については良く分からないが、高校受験のために指定の参考書を買うようにと学校から言われて買った中に「物質の三態」についての説明があって、それが唯一面白いと思ったことを今でも覚えている。
私は完璧な文系人間で理系のものには興味がなかったのだが、あの参考書達では他の教科についての記憶が全くないほど、「物質の三態」だけが記憶に残っているのだった。そして、このことの発見が電子レンジを生み出したのではないかと大人になってからも思ったりした。
むろん小林が物理学に関心を示したのは、ベルクソンを通してだけではない。小林は、彼独自の仕方で、物理学に接近していった。『小林秀雄とベルクソン』p17
(略)
量子論は、ギリシャ以来の原子論的思考そのものに変換をせまった。小林秀雄が量子論にこだわる理由もそこにある。量子論は、物質の究極の要素を探究する過程で、従来の認識論の基礎原理の革命をおこなった。(p39)
『小林秀雄とベルグソン』を読んでいると、人間の体も日々動いていると改めて思わされる。
骨なんかも骨芽細胞と破骨細胞で日々作られては壊されている。毎日体重計に乗っていれば、運動した日など骨量が増えていたりして、変化に気づく。
しかし人はしばしば、骨が常に壊されて新しく造り変えられているなんて思いもせず、骨折などをしない限り、いつも同じような状態で体の中に存在すると思い込んでいる。
河端輝江=編著『しっかり学べる!栄養学』には、
たんぱく質の代謝回転の速度は、臓器によってかなり異なる。たんぱく質の寿命は、通常半減期として表される。これは、全体のたんぱく質量の半分が新しいたんぱく質に置き換わるのに必要な時間のことで、組織や臓器ごとに異なる。
肝臓におけるたんぱく質の半減期は約12日と短く、一方、筋肉では約180日、骨では約240日である。体全体の半減期は平均で約80日とされている。(p85)
と記されている。
皮膚も28日周期で古い表皮は剥がれ落ちていく。このことは今の私には慰めである。