甲状腺機能低下症の薬チラーヂンを飲み始めて上の血圧が上がって来ていたところに、ビタミンA、Eの入った飲み物を飲んだために脳内出血を起こしたと考えていた。
上の血圧は確かに上がって来ていたのだが、倒れる前日の朝の上の血圧は比較的低めだった。前の晩にカルシウム拮抗薬を飲んでいたからだ。
それで油断していたと思っていたのだが、メモを見直してみると下の血圧が高めだったことに気づいた。
血圧の上下差のことを『脈圧』と呼びます。
上の血圧が高く、かつ脈圧が70よりも大きい人はとりわけ注意が必要です。たとえば160/70の人なら、脈圧は90ですが、こうした高い数値が出ている人は、動脈硬化が進んでいるリスクがある」
元東京逓信病院院長の平田恭信氏も言う。
「心臓が拡張する際、膨らんでいた大動脈が元に戻ろうとして、血液を押し出します。この力が最低血圧です。最高血圧は高いのに、最低血圧が低い状態は、大動脈が柔らかさを失い、元に戻る力が弱まっている証拠です」
脈圧が大きくなりすぎると脳卒中になりやすいことが、国立がん研究センターが行った調査でも明らかになっている。
「上」とともに「下」の数字に気をつけることで、動脈硬化のリスクに気づくことができるのである。(『おとなの週刊現代 クスリの危ない飲み方、選び方』p72)
随分前にこの部分を読んでからしばらく脈圧に注意していたのだが、夫の場合は上下差が低いため、本当は下の血圧をもう少し下げた方が良いと思うが気にしないことにしようと考えてあまり注意をしなくなっていた。
うっ血性の心不全だったので、下の血圧が上がることに注意しなくてはいけないと思っていたのだが、チラーヂンを飲み始めて下の血圧より上の血圧の方に注意が行っていたからだ。
上に引用した内容を見ると、夫の脳内出血の状況とは矛盾するように思われる。
夫の前日の朝の脈圧は1回目が45で、2回目が53だった。これは、そのまた前日の夜にカルシウム拮抗薬を飲んでいたためだと考えられる。
カルシウム拮抗薬は心筋の収縮を抑える。心筋の収縮が抑えられると血液の勢いは抑えられて末梢まで行かない。そのため大動脈に溜まった血液を末梢へと押し出すために下の血圧は上がる。だからこの薬の注意書きには「うっ血性心不全の患者には慎重投与」と記されている。
また、夜は毎晩β遮断剤を飲んでいた。この薬は交感神経の働きを抑制して血管の収縮を抑える。だから、この薬の副作用の中にもうっ血性心不全が入れられているのだ。ところが甲状腺機能低下症の薬は交感神経を刺激して上の血圧を上げるだろう。
土曜の夜にカルシウム拮抗薬とβ遮断剤を飲んで上の血圧は低めとなり、うっ血傾向にあっただろう。
meromeropy77.hatenablog.comそこに日曜の朝、甲状腺機能低下症のチラーヂンを飲んだ。この薬はこのままでは甲状腺ホルモンT3とはならないが、血圧への影響はある程度あったと思われる。
日曜の夜にはβ遮断剤を飲んだ。救急車で運ばれる前に、飲み忘れたか誤って重複して飲んでしまったかと思ってゴミ箱を確認したのだった。
いずれにしても、血液は心臓(左心室)あるいは心臓(左心室)付近の大動脈に多く蓄えられていたのではないかと考えられる。それが、大動脈壁が元に戻る強い力(この時の血圧が下の血圧となる)によって押し出され、脳に向かった血流によって脳内出血を起こしたと考えられる。
私は、この夜に飲んだ飲み物に入っていたビタミン類、特にビタミンEを問題にしていたが、もしかしたらビタミンAの方が問題だったかも知れない。
ビタミンA(https://ipidiw.co.jp/nutrition/vitamina.html)
過剰摂取・副作用
・蓋内圧亢進症
ビタミンAの過剰摂取でどうして「蓋内圧亢進」となるのかは、今のところ私には分かっていない。
さて、上に引用した血圧についての記載は、「60歳を超えたころから、下の血圧だけが下がるというケースが出てくる」という前置きで記されている。
夫の場合は60を超えておらず、うっ血性心不全が元にあり、動脈の弾力は衰えていなかったと考えられる。
上記と同じ書籍の中に次のように記されているところがある。
高血圧と診断された。生活習慣も変えたけれど、なかなか血圧が下がらない・・。仕方なく降圧剤を飲み始めた人もいれば、まだ薬には頼らずにいこうという人もいるだろう。
気をつけるべきは、薬を服用している人と、していない人で「食べていいモノ」が異なる点だ。
服用前、血圧を下げるために食べていたものが、薬を飲み始めた後には、「毒」になることもある。(『おとなの週刊現代 クスリの危ない飲み方、選び方』p74)
年齢や食べ物もそうだが、薬の飲み合わせも関係するだろう。そして、夫の元々の体質は甲状腺機能亢進傾向であり、下の血圧よりも上の血圧の方が高めにでる体質だったはずである。
こういった事柄は、それぞれ個別に考える必要があるように思う。
私の闘いは、これからが本番なのかも知れない。